プロフィール

  • 清水 孝治 (しみず こうじ)
  • 昭和40(1965)年10月18日立川市若葉町生まれ、血液型A型
  • 立川市立若葉小、立川市立九中、東京都立小金井工業高校を卒業。明治大学公共政策大学院ガバナンス研究科修了。
  • 平成10(1998)年6月、立川市議会選挙に当選、連続4期15年。
  • 平成25(2013)年6月、東京都議会議員選挙に当選、連続3期目10年。
  • 令和5(2023)年9月、立川市長選挙で20,150票にて惜敗。
  • 加盟団体/還暦野球東京西部連盟 会長、立川神輿会 顧問、立川市果樹組合、立川市野球協会 顧問、立川法人会支部 班長、日本地方自治学会、立川工業会 顧問、東京農業会議 理事、日本自治創造学会 ほか
  • 職業/農業
  • 座右の銘/温故知新、変える勇気と守る誇り
  • 尊敬する人物/木戸孝允、イチロー
  • 趣味/男の料理と下手なゴルフ、大賀ハスの栽培
  • 著書/「自治体議会の課題と争点(芦書房)」(共著)

 

清水こうじの決意

本年8月27日告示、9月3日投票の立川市長選挙に、無所属、自民党推薦候補として出馬する運びとなりました。
唯一の保守系改革派の与党候補として、今後、多くの同志と共に立川市政を前へ進めていきます。
現職清水庄平市長から正式に「後継指名」を受けさせて頂きました。清水市政、その前の青木市政と36年間にわたる安定した、市民が安心できる「市政のバトン」を受け継いでいきたいと思っております。

これからの市政について、大きく2点申し上げていきたいと思います。
①安定した、市民が安心できる市政運営と②イノベーションの必要性。

新しい価値の創造を促進していきたい。駅前の賑わいを見れば、立川は裕福な街に思われますが、市民の暮らしぶりは大変厳しいものがあると考えています。
それでも、多摩のリーディングシティーとして財政を支えられているのは、豊かな法人二税のおかげでもあります。
これからも、立川の経済を持続・発展させるためには、国・東京都・立川市の連携が取れた安定市政が必要です。
それが出来るのは、現在の候補予定者では私は絶対的な自信を持っています。

時代は人口減少、低成長である一方で行政ニーズは高まっている。
この難局を乗り切るためには、立川市政にイノベーションを起こし、新しい価値を創造する必要があります。具体的には、職員の意識改革と自治体政治システムの活性化。
コンプライアンスからファシリテーション・市役所職員の仕事に対してのヤリガイを創出させます。自治体政治システムの更なる活性化にも取り組みたいと思っています。
しかしながら、以上の取り組みを進めるためには、議会の賛同を得なければなりません。これまで、立川市政は基本的に共産党以外の各会派与党の立場を貫いています。
政策協議を経て、共同歩調をとれる党派、同志の皆さんをこれから募っていきたい。何より、多摩のリーディングシティー・立川を革新市政にする訳にはならないという強い想いがあります。

私の政治信条は「変える勇気と守る誇り」立川市政の伝統を大切にしつつも、時代の変化に対応しなければならない。
そのためには、「身を切る改革」も辞さぬ覚悟であることをお約束し、責任与党としての職責を果たしていきたいと思っております。

令和5年8月 清水こうじ

 

平凡な自分史

  • 1965年10月18日
    東京都立川市に生まれる。
    ちなみに、Beatles”In My Life”も同日レコーディングされる(一番お気に入りの曲)。
    専業農家は貧しかったけど、家族の豊かな愛情のもと育てられた。
  • 1970年
    近所にあった上水幼稚園に入園。
    理事長は初代後援会長の尾崎玄三先生。
    運動会、小さな頃から足はちょっと速かった。
    お遊戯、マイク好きは相変わらず。
  • 1972年
    立川市立若葉小学校(現若葉台小学校)に入学。ご近所の藤本くんと記念写真。
     
    運動会では、リレー選手の補欠にも選ばれた(本当に)。
     
    小学生時代はやはり少年野球。ポジションは二軍のライトで八番(一番下手)。
  • 1978年
    立川市立立川第四中学校に入学。
    1979年
    新校設立のため、同第九中学校に転学。
    1981年
    東京都立小金井工業高校に入学。
  • 1983年
    父、友一他界。自暴自棄になり、ろくに登校もせず自堕落な生活が続く。
    この頃、将来は露天商(アクセサリー)になるのが夢。
  • 1984年
    かろうじて高校を卒業し、コンピューター関連会社にも就職できた。
    会社ではラグビーに出会い、残業+休日出勤+ラグビー部で一週間全出社の会社人間に。
  • 1986年
    家業(農業)継承の為、依願退職。
    農家の長男として「砂川三種の神器」消防団、農研会そして自民党青年部に所属する。
    また東京都農業試験場(現東京都農林総合研究センター)の研修生として農家の準備。
    立川市消防団第十分団長としての雄姿。
    自民党立川総支部の青年部幹事長として、数々の選挙の司会を担当。
  • 1997年
    市議会議員選挙に”立候補”を決意。
  • 1998年
    立川市議会議員選挙、初当選。
    豊泉喜一先生、尾崎玄三初代後援会長とのひとコマ。
    以来立川市議会議員四期15年務める。
    新藤年宣第二代後援会長の応援演説。
     
    その間、立川市野球協会会長を務める。
    地元十番組では、盆踊り大会の実行委員長
     
    宮崎章先生と丸川珠代先生、金子劭一第三代後援会長と後援会役員の皆様。
     
  • 2011年
    明治大学公共政策大学院 修了
    牛山ゼミに所属。
  • 2013年
    宮崎章先生の後継として、東京都議会議員選挙、初当選。
    間もなく、2020オリンピックの東京開催が決定。報告会場で配布された「決定Tシャツ」で挨拶。
    2017年、2021年
    東京都議会議員選挙、連続3期当選。

現在に至る

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